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法樂寺の小坂奇石展

平成29年10月に小坂先生の二十七回忌の記念にと、ご息女小坂淳子さんより仰せつかって先生の手控え帳(大福帳)の印刷本を編集した。
原本は大部であるので、内容も相当部分カットした縮刷版である。これは法要の記念品であり、有縁の方々を中心に璞社でも一部の方にしか行き渡っていない。この記事をお読みの大方の方には申し訳ないのであるが、奇石版墨場必携ともいうべきもので、戦前から戦後さらに晩年に至るまで、漢文、漢詩、名言佳句また和歌等が毛筆で詳細に書き留められたものである。その内容を追えば、先生の真摯な学書姿勢とその深さが読みとれると同時に、手控え(メモ)として書かれた文字のすばらしさに魅了されるのである。昨今は、作品に比し、手紙やはがきの文字を見ると随分落胆させられることがあるが、先生のはこのメモにしてあの作品が生まれたのだと納得するのである。

前置きが長くなったが、例年、璞社書展の開催時期に合わせて小坂家の菩提寺である大阪南田辺の法樂寺リーヴスギャラリー小坂奇石記念館で小坂奇石展が開催される。今年は先生生誕120年、没後30年の記念展になるようである。そこで、先述の大福帳の姉妹編ともいうべき先生自らが執筆法、用筆法等を研究、書き記した手控え帳が、小坂淳子さんより提供、展示されるようだ。
冊子の内容は、執筆法、用筆法、書体論、筆墨紙論、書道史等の研究メモである。中でも古来、筆の持ち方、運び方(運筆)、姿勢、点画の個々の用筆等はやかましく言われてきた。明治以降、わが国でも日下部鳴鶴の廻腕法や比田井天来の俯仰法などがあり、若き小坂先生にとっても大きなテーマであったと思われる。

小坂先生が後年行き着いた書理論は、用筆における「直筆蔵鋒」、心の発揚としての「気韻生動」である。その両者を実現する為の執筆法が双鉤(ソウコウ、筆を親指と人差し指、中指で挟む)による撥鐙法(ハットウホウ)である。指先や手首を使わずに、筆先に集まった「気」を逃がさない用筆法である。書源旧号をお持ちの方は昭和48年書源第7巻11号巻頭言に小坂先生が「執筆法」というタイトルで書かれた記事を読み返していただきたい。
小坂先生はその理論を20代の後半に「漢溪書法通解」を読んで得た。同書は清の戈守智(号 漢溪)の撰文で日本では明治14年に翻刻本が出版されている。6分冊、8巻からなり、書論、執筆囲、執筆論、智永永字八法、諸名家の筆法、孫過庭の音譜等が収載された書論集である。特に小坂先生が拘ったのが執筆法であり、確信を得たのが先述の「撥鐙法」である。撥鐙法の詳細な説明はここでは省略するが、現在、江口先生が書かれている筆の持ち方、運び方がそれであると理解いただければ良いと思う。江口先生も若い頃に、それまでの執筆法から現在のものに変えられたとのことである。

今年の法樂寺での小坂奇石展では作品とともに展示される手控え帳をじっくりと見ていただき、小坂先生の学書過程、密度に想いを馳せていただきたい。併せて、そこに書かれた卒意のペン字の品位の高さ、書としての素晴らしさも併せて鑑賞いただきたい。書家たるもの斯く有るべしと再認識させてくれること必定である。

佐藤芳越(書源2020年10月号より)

 
   

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