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カテゴリー: 巻頭言(江口大象)

浅い知識で四柱推命

私の今年の運勢の悪さは昨年のうちからいわれていた。良い方角と悪い方角とが図や文章で示されている四柱推命の本は年末になるとどこの本屋さんでも特設コーナーを設けて山積みして売っている。 川村龍洲さんがうちの三人の子供の数十年 […]

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一作に込めた万感の思い

真似したくても端から出来そうもないことがわかることがある。小坂先生の右折れカーブのことで、先生はあの一点に万感の思いを込めておられたのではないかと想像している。しかし先生ご自身にはそんな意識は露ほどもなかったと思う。 今 […]

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離合集散

離合集散は世の常、どこにもあること。団体にも会社にも国家にも。長い目で見ればそれで社会は発展し、会社も生きのびてきたともいえる。 日本の書道界も小さいながら明治以降現在まで、私の知っている限りでもかなりの数の離合集散があ […]

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昔の話(5)

書く気が失せてしばらく途絶えていた「昔の話」を、二、三人の方から催促されて、また少し書いてみようかと。もう七十年以上前のことだ-、何か気恥しい気持ちも多分にある。 前回の第四話は五十二巻の五号。そこで途切れているので二年 […]

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飛翔

今年の末に開かれる璞社書展は第六十回という非常に大きな節目の記念展である。初回から出し続けているのは私一人になってしまったが、六十年も経てばそうなるのは自然の理であろう。 テーマは「飛翔」だと聞いた。聞いたのは昨年だった […]

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令和二年に想う

さて令和二年はどんな年になるのでしょう。夜ベッドにはいって静かに目を閉じると、昔のことからついきのうのことまで、楽しかったことも後悔することも、あの時、二股の反対側を選んでいたら今はどんな人生を歩んでいるのだろう。人間の […]

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晩年の書

歯はまだ悪くない。悪くなくても近くの歯科はクリーニングの予約をさせられるので、年に五・六回は行っている。その度に「どうですか奇麗になったでしょう」と目の前に手鏡をかざして見せてくれる。その時私は歯でなくて鼻毛の方しか見て […]

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かすれとにじみ

きれいがいいか汚いがいいかと問われたら私は躊躇なく汚い方を選ぶ。自室、身のまわり、書作品。私にはきれいにする能力が乏しいらしい。汚いといっても不潔、下品はご免。 大学の寮では先輩が残していった古い反故紙をそのままにして二 […]

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ほのかな色気

洋の東西を問わず芸術と名のつくものには色気が要る。それは本人が意識するしないに拘らず—。しかしそれが態度や作品に出てしまっていては嫌味でしかなくなる。必死で基礎的な勉強をしているうちはそんなことどうでもいい。 […]

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「飲中八仙歌」始末記

昨年の第58回璞社書展が終わってすでに半年になるので、皆さんの記憶も薄れかけていると思うが、特別展示の「飲中八仙歌」の経緯について遅ればせながら、触れておきたい。 江口先生は一昨年、旧作230点を長野の驥山館に寄贈された […]

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