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一作に込めた万感の思い

真似したくても端から出来そうもないことがわかることがある。小坂先生の右折れカーブのことで、先生はあの一点に万感の思いを込めておられたのではないかと想像している。しかし先生ご自身にはそんな意識は露ほどもなかったと思う。

今日(6月27日)徳島の文学書道館から「真っすぐな書家、小坂奇石の書と生涯」が送られてきた。いい冊子が出来た。くり返し読んでいる。ところどころにある「エピソード」と称するコメントもすばらしい。私にとっても新しい知識が多い。
この冊子の十八ページには先生六十九歳、改組第二回日展作がある。まず目につくのは「神」の縦画、しかし私がここで述べたいのは「寒」の太く強い右肩の瘤のこと。先生の意思の強さがそのまま、ありのままに表現されている。「神」の縦画もそうだが、これだけはっきり意思表示をされているのに何一つ嫌味を感じさせないのがすごい。私だったら嫌味だらけの作品になるに違いない。

昭和四十五(1970)年は私の三十五歳のとき。元の東京都美術館の壁面のどこに飾ってあったか。この作品に込められた先生の強い思いなど、何もかもが作品の前に立ったとき一瞬にして全ての事情がわかった気がしたのもきのうの事のように覚えている。
制作時の身の構え方、眼光、呼吸。先生のこの作に込められた万感の思いは—-。これは私には絶対できない、生き方、ものの考え方にまで及ぶ人間の根幹を成す根の深い部分が問題なのである。

江口大象(書源2020年9月号より)

 
   

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