比較することから見えてくるもの

数年前に、書道界の流れとして肉太で墨量たっぷりの作品が流行っていましたので、私自身機会あるごとに皆さんにそのことを訴えてきました。ところが最近はそこまで太さは問われないように感じています。それより一本の線の強さがより求められているように思います。

ところで太細や墨量、強弱などの程度は人それぞれです。普通といっても個人個人微妙に基準が違うし、感覚に左右されるものならなおさらです。自分自身の持っている普通と思っている基準との比較によって太細や大小を判断し表現するだけでは不十分です。ここでは書道界の動きとの比較が大切なのです。

話は脱線しますが、以前私が高校で書道の教師をしていた時に、比較することによって多彩な表現をする実験をしたことがあります。例えば半紙に「風」一文字を条件を加えずとりあえず書いてみます。それを以後の基準にします。次にそれより太く書く、細く書く、大きくまた小さく書く。それらを複合的に太く大きく書く、太く小さく書く。細く大きく、また細く小さく書くなど一番最初に無作為に書いたものと比較して大小や太細の変化を表現するわけです。更には墨量を変えて潤渇の変化や墨の濃淡、運筆の遅速などの変化までも大小や太細の変化に加えていくのです。かなりの組み合わせになるのですが、その実験によって書作品の多彩な表現が体感できるのです。この実験は無意識に書いた一番最初の作品を基準にし比較していくわけですが、他人との比較は必要ありません。

さて話を元に戻しますが、書道界の流行に乗り遅れまいとするならば、書道界全般との比較が必要です。書道界の流行の推移を見極める方法は展覧会に足を運び多くの作品を見ることです。そして書道界の傾向と自分自身の作品とを比較してください。大小や太細また潤渇などは他人との比較でわかると思います。他人の作品を見ても何も感じませんという方は論外です。ただし冒頭に触れた強い線を表現するための方法は筆法の問題ですので比較しただけでは無理です。「線質」は書家にとって最大かつ永遠の課題なのです。

山本大悦(書源2020年6月号より)

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昔の話(5)

書く気が失せてしばらく途絶えていた「昔の話」を、二、三人の方から催促されて、また少し書いてみようかと。もう七十年以上前のことだ-、何か気恥しい気持ちも多分にある。
前回の第四話は五十二巻の五号。そこで途切れているので二年ぶりか。日本到着が心底うれしくて母と抱き合って喜んだことで話は終わっている。母三十四歳、小生十一歳。
上陸して休む間もなく列車へ。そこで一杯の味噌汁とその日の食事代程度のお金が頭数分母親に手渡されたように思う。味噌汁は日本の味。母とお互い目を見て「美味いね」と言い合った。列車は行き先ごとに分けられ、当然江口一家は九州行き。超満員で出入りは窓。

先ず西松浦郡の山の中にある親戚の家へ。会社整理のため現地に残った父を除いて七人家族。どんな関係の親戚だったか。村に一つしかない西山代小学校の五年に入学(中国での小四はほとんど行っていないので本当は四年にはいるべきだった)。田舎の家へ突然七人がはいれば気まずいに決まっている。約一カ月で佐賀市内の西魚町へ。そこの親戚宅にお世話になったのが五月。六月に父が帰って来てさあ大変。すぐ転居。ウロウロしているのを見かねて民生委員の人が、ここで良かったらと米屋町(現白山町)の崩れかけた一軒家を見つけてくれた。二階建てといっても藁葺きの天井からは二カ所はど空が見えていた。床は斜めで、梯子と古畳をどこからか貰ってきてその二階へ祖父母と子供四人。二カ月間だけの約束だったが引揚者用の入居の抽選に漏れてそのまま居座り。中国からの衣類を一枚一枚お金に変えていたのだが、いよいよ食べものに困って田舎の親戚まわり。親戚の何軒かには農家が多く「その辺のもの何でもいいから引っこ抜いて持って帰って—」。そのとき食べた大根の丸留りの何と美味しかったことか。近くの小川で泥を落としただけ—。

そんなこんなで自然に八百屋さんに。一介のサラリーマンだった父は即不慣れな八百屋のご主人に。しかしそんな仕事が続くわけがなく、必死で勤め先を捜して五年後に建設会社のソロバン係になって八百屋は自然に母へバトンタッチ。二年契約だった大家さんは当然カンカンに怒ったらしいが、近くにいた遠い親戚のおじが中にはいって和解したようで、そのうち母は正式に中央青果の組合員になり、それから十四、五年の八百屋業に。私も裏でこそこそと売っていた八百屋業も親戚まわりをして自転車の荷物寵(佐賀ではこれをダンベーという)一杯の野菜を運ばなくてもよくなった。
今度の小学校は目の前、歩いて三分の勧興小学校、五年生。学校へは毎日行っていたと思うが、よく覚えていない。

江口大象(書源2020年5月号より)

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漢詩のことなど

璞社錬成会部部長の岩本青雲さんから、今年5月の不死王閣での璞社錬成会夜間講座で漢詩作法について話をして欲しいとの要請があった。漢詩の専門家でもないし、ましてや食後の講座なので、漢詩作法など面白くもないし、聞いている人は眠くなるのが落ちであるから一旦はお断りをした。しかし、熱心に要請されるので、仕方なく引き受けることにした。数年前に青森の錬成会で漢詩作法の話をしたのが、要請の伏線になっているようだ。

確かに、璞社は漢字を主体とした団体であり、大方の方が漢詩作品を書いている。その題材たる漢詩のルールや作法を知ることは意味のないことではなかろう。璞社創設者の小坂奇石先生は漢詩を作れる書家として知られていたし、しばしば自作詩を書の題材にされた。特に米寿の個展の際は相当数の自作詩の作品を発表された。また書源誌は小坂先生のご意向で、創刊時から「漢詩の味」や、「今月の創作題材」のコーナーで漢詩の啓蒙をされた。「漢詩の味」は小坂先生と同じ土屋竹雨門の高弟笠井南邨先生に、笠井先生の後は同じく土屋門の進藤虚籟先生に長らくお世話になった。また、「今月の創作題材」は小坂先生ご自身が担当され、その後は璞社の中での幾人かの担当を経て、現在は山本康夫氏が担当されている。毎号テーマ性をもった漢詩や詩句を紹介されており、山本氏ならではの労作である。まさに創作題材に最適である。漢字が並んでいるとつい目を背けたくなるが、懇切丁寧な解説がなされているので是非毎号目を通していただきたい。そして活字を見て直接創作をすることにチャレンジしていただきたいと思う。

小坂先生もお若い頃に会社の上司に「書をやるなら漢籍の勉強をせねば。」とのアドバイスを受け複数の漢詩文の先生に師事し指導を受けられた。小坂先生の時代は漢詩に精通した先生方がいろいろおられた。川村驥山、松本芳翠、津金寉仙などは自作詩を作品にしておられた最右翼だ。小坂先生は驥山先生を慕っておられ、驥山先生も小坂先生の風骨を愛し接せられた。戦前の東方書道会からの小坂先生の師黒木拝石を通じてのご縁であるが、共に漢詩を作るという共通項があった。余談ながら、現在、驥山館館長の川村龍洲氏、ご子息の文齋氏が璞社に所属されているのも、東方繋がり、漢詩の取り持つ奇縁と言って良いのではないだろうか。

かつて璞社の諸先輩も小坂先生に倣って漢詩を作られた。齊川青鷲氏の父君の齊川惺堂氏、金谷桃果氏、上田渓水氏、北畠右聊氏など他にもおられたと思う。現在も樫本桑牛氏は漢詩と南画を駆使してご活躍であるし、山本康夫氏は作詩指導もされている。
漢詩、特に近体詩(キンタイシ 唐代初期に完成した詩体。絶句や律詩など。)は平仄(ひょうそく)をはじめとした最低限のルールを守らないと漢詩とは言えない。逆にそれさえ守れば一応漢詩となる。まずはそこを通過して入口に立つことである。かくいう私も進藤虚籟先生に通信でご指導いただいたレベルで、入口にも立たないまま、先生はご逝去された。そういう私が錬成会でお話をするのであるから、何とも心もとない。
どうぞ錬成会にご参加いただき願わくば寝ずに拙い話をお聞きいただきたい。

佐藤芳越(書源2020年4月号より)

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飛翔

今年の末に開かれる璞社書展は第六十回という非常に大きな節目の記念展である。初回から出し続けているのは私一人になってしまったが、六十年も経てばそうなるのは自然の理であろう。

テーマは「飛翔」だと聞いた。聞いたのは昨年だったかもしれない。佐藤芳越さんは何事も速い。私もどちらかというと早い方だが、芳越さんはそんなものではない。多分「飛翔」と聞いたのは二年前で、出品作二、三点のうちの一点はそれを書いてほしいとのこと。タテにするかヨコにするかとの問いにはご自由に、と。璞社書展はいつも三室なので作品は毎年三点書いている。しかし今回は記念展なので四室。この四室には百十名程の理事以上の選抜役員の人に過去の自作を一点出してほしいとするようだ。そして私は芳越さん指定の三、四点。弟の絵も少しは出そうか—。

年末の記念展にはテーマ通り、わが璞社も大いに羽ばたいて、空を飛ぶ勢いで躍進して欲しいと願っている。

江口大象(書源2020年3月号より)

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先憂後楽

昭和十三年六月と七月、茨城県霞ケ浦一帯は台風による洪水で甚大な被害を受けた。被害流域は三十二市町村、死者四十五名、浸水家屋は八一、七三九戸。冠水被害は数十日に及んだ。

さて、ここから先は当時帝国海軍の軍務局長であった井上成美の文を引用する。〝土浦が大洪水でひどい目にあったことがある。私は当時、軍務局長をやっていたが、多数の航空関係の海軍士官や下士官兵の家族が家財を大部分流失したのを知り、即座に救済の必要を感じて、義援金だとか何だとかいっていたのでは時機を失するを思い、非常手段をとるに決し、山本次官(山本五十六、当時海軍次官)に「海軍のお金を五万円ほど即時に出していただきたい」と申し上げたところ、即座に承知して出していただき、罹災家族の急場を救うことが出来た。これらも元帥の度胸も手伝ってはいるが、一面困っている人に対する元帥の情深い思い遣りがこれに同意せられた一大動機であろう。〟「追悼・山本五十六、新人物往来社編、新人物文庫84より」山本井上コンビならではの話だが、昭和十三年の五万円は、米価換算だと現在の約一億三千五百万円相当になり、また他の生活物資の価格から考えてもたいへんな金額である。序に記せば、前年十二年は日中戦争が始まっているし、十四年に山本五十六は連合艦隊司令長官になっている。

さて、現在の状況に目を転ずると、実に嘆かわしいとしか言い様がない。「桜を見る会」問題は一体何だと言いたくなる。報道騒ぎを見る限り、桜の花を見るのではなく、自分が気に入って集めた「サクラを見る会」としか思えない。論陣に費やす時間が有ったら、与党野党を問わず台風十五号・十九号の被災地をもっと頻繁に見舞ったり激励したりするのが国民の代表である国会議員諸氏の役目ではなかろうか。我が長野県も未曽有の被害で、門下生の詳しい被災状況もいまだ掴めずにいるが、ここ数年来世界各地の自然災害や、日本各地で起きている大水害を思うともはや「想定外」という言葉は使ってはいかんのではなかろうか。中国故事にいう「善く国を治める者は必ず水を治むる」を思うべきで、為政者たるは人々に先んじて憂いてほしいと切望する。

川村龍洲(書源2020年2月号より)

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令和二年に想う

さて令和二年はどんな年になるのでしょう。夜ベッドにはいって静かに目を閉じると、昔のことからついきのうのことまで、楽しかったことも後悔することも、あの時、二股の反対側を選んでいたら今はどんな人生を歩んでいるのだろう。人間の運命なんてサイコロを転がしているようなものなんだと、今になって感じても–。それを自分だけでなく友人、知人、いや会ったこともない人、歴史上のたくさんの人にまで拡げると–。面白いですね。

昨年は自然災害の多い年でしたが、今年も止められない地球の温暖化によってもたらされる何らかの自然災害はありそうな気がしています。それに動植物の何億年かにわたる生きざまを見たり人間の今までの歴史を見ていると、残念な予測ですが生き抜くための「戦い」は永久になくならないと思いますね。

動物も植物も人間も皆一緒くたにして、今生きているということはさまざまな戦いに勝ち抜いてきたからでしょう。この数十億年の間に–、いや人間のわずか数万年の歴史にでさえそれははっきり見てとれます。
「戦争はいやだ。絶対に阻止しよう」といくら叫んでも、世界のどこかで小競り合いくらいはしょっちゅう起こっています。それを国と国との対決のような大きなものにしないのが人間の知恵の出しどころ–ですか。

でもそんな中をかいくぐって「芸術」は生き続けて来ています。あの古代人の岩に彫り込んだ人間や動物の壁画、ホッとしませんか。

江口大象(書源2020年1月号より)

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60回記念展について

もうすぐ第59回璞社書展が始まる。係りとしては会員の皆さんのご協力で円滑、盛大に実施出来ればと考えている。会期中の来場者の増加や表彰式・懇親会への参加に重ねて協力をお願いしたい。さて、少し早い話であるが、年が明ければ、第60回璞社書展の準備が本格的に始まる。璞社書展は5年毎に記念展として何がしかのテーマをもって開催してきている。そこで、皆さんに尚一層のご協力、ご参加をいただきたく第60回展についての計画をご紹介したい。

璞社書展は昭和37年(1962)に第1回展が開催され、以降毎年開催されてきた。開催会場の変更等で途中、1年に2回開催された年もあり年数は59年ながら、ともかく来年は記念すべき60回展となる。そこで、「-新しい干支への出発-テーマ『飛翔』」として開催したいと考えている。会場も大阪市立美術館の地下展覧会室の1~4室全室を借りられることとなった。
1~3室は従来通り、役員、会員・公募、みなもと展で構成され、出品者それぞれが、従来にも増して各自の将来の方向性を示すような意欲的な作品を、また、第4室は常任理事以上の役員ならびに理事以下の役員で選抜されたメンバーにより「回顧この一作」と題して、過去の璞社書展出品作の内の各自の一押しの作品を出品していただきたいと考えている。自らの足跡を確認し、将来の展望をしっかりと示していただきたい。
また、図録も過去の記念展と同様に作品に顔写真、自薦文を添え、付録部分も選抜メンバーによる文集他、60回に到る璞社書展の足跡が振返れるようなものにしたいと考えている。

表彰式・懇親会の会場も従来通りである。記念品についても検討中である。従来にも増して多くの方々に出席願いたい。
すでに、係りとしては昨年末から、今年度の59回展の準備と並行して、60回展の準備を進めてきた。展覧会、図録作成、表彰式・懇親会を遺漏、遅滞なく進めるには、これくらいのタイムスケジュールで進めざるをえないのである。ご協力いただいている皆様には感謝申し上げる次第である。

璞社書展の開催母体である璞社は小坂奇石先生、江口大象先生と引き継がれている。60回展は目出度い還暦祝いに該当するが、これもまた通過点である。今後、65回、70回と回を重ねられるように次世代に円滑にバトンを引き継いで行きたいと考えている。
また役員の方々は役員展に出品することは名誉であり最低限の責務と考えて積極的に出品いただきたいと思う。
以上、来年度の第60回記念璞社書展が盛大、成功裡に開催できるよう皆様の積極的なご出品、格段のご協力を重ねてお願いをしたい。

佐藤芳越(書源2019年12月号より)

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晩年の書

歯はまだ悪くない。悪くなくても近くの歯科はクリーニングの予約をさせられるので、年に五・六回は行っている。その度に「どうですか奇麗になったでしょう」と目の前に手鏡をかざして見せてくれる。その時私は歯でなくて鼻毛の方しか見ていない。「こりゃひどい」と帰宅後は年に数回の鼻毛切りである。
毎朝顔は洗っているが、実はこの時以外自分の顔をまじまじと見ることがない。大きな鏡の前だが、自分の老いぼれた顔を見ることはない。
多分六十過ぎまでは、まだ自分の老けぶりを眺めるゆとりがあったと思う。が、七十を越したあたりからは、日を逐って汚くなるものは見る気もしない。だから年数回の鼻毛切り行事は毎回久しぶりのご対面ということになる。

書作品はどうだ。顔と違って年を重ねるにつれそれなりの味が加わって良くなっている筈だと一人よがりで信じることにしている。若い時は思いのまま筆を操っていたと思うが、それが嫌味、下品と繋がっていたことは、当時は知る由もない。昔の数十年前の作品は、サラリと書いているから、あれこれ考えた工夫のあとが見えるから、気張って書いているから等々。しかしそれらにあまり関係なく良し悪しがある。
若けりゃ悪いというものでもない。年老いたからといって深い味わいが増してくるものでもない。誰でも折角の一生を棒に振りたくもないので何かの目的を持って日々研鑚をしていると思いたい。

「書」をやっている者も同じ。叶わずとも何らかの目標は設定して日々を過ごしていると思いたい。先人の書、誰それの書、先生の書、自分の書、世界に愛される書作品、等々、何でもよろし。加齢で手が不自由になったらなったで生きる道もある。
たしかに私も、もう箱書きの裏書きなどの細字は書けなくなっている。たとえ書けても私の字とはほど遠い。
晩年ほど良くなった書家を今頭の中で考えている。さて年を重ねてどんな作品になるのやら、自分でも楽しみにしておこう。

江口大象(書源2019年11月号より)

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「草書」に思うこと

競書雑誌の手本ページは、大体が楷書・行書・草書と続くのが殆んどであろう。ところで、日常生活で草書が使われる場面、つまり使用頻度に注目してみると、まず無い。むしろ篆書・隷書は毎日使うお札に印刷されているから、読む・書くことは無いにしてもきわめて身近である。こうした視点で見ると「草書」は実に不思議な存在である。そう言いながら、メモや私信、或いは床の間や壁に飾られた書や、画に添えられた讃や款記、そして書道展はこれまた草書のオンパレードである。また習う人にとっても「草書」は憧れの書体であることを体験上知っている。習いたい理由を尋ねると「知的に見える」「上達の確認ができる」といった答えが多いし、中高生にいたっては「だってカッコ良いじゃん!」がトップ。理屈っぽく言えば〝非日常への憧れ″と言ってよいのかもしれぬ。今まで気にしながらも、草書についてこうした文に出会ったことがない。しかし競書や展覧会の制作となると、草書学習は不可欠である。草書を覚えるには英単語を覚えるように、ひたすら丸覚えするしかない字が多い。江口先生はそのために中学時代に日記を草書で書く訓練をされた。その日記を拝見すると、これまた中学生の字とは思えぬ見事なもので、改めてその早熟ぶりと努力に驚かされた。

我が稽古場での草書手本は『書譜』にしている。一番の理由は肉筆で筆使いが明確、崩しが正しく安心して習えるから。さらに孫過庭の書論が学べる。判り易く有名な「五合五乖」はその好例である。「良い書」が書ける条件は、1、心が安らかなとき。2、ひらめきを感じたとき。3、気候が落ち着いているとき。4、紙と墨がなじんでいるとき。5、たまたま字を書きたくなったとき。以上が五合で、逆のときはうまく書けない。それが五乖であると。1350年も前の書論だが今この瞬間でも得るところが多い。もう一つの草書手本は王羲之の『十七帖』になるが、自分の加齢と共に見方が変わってきた。その素晴らしさが判りはじめたといってよい。というのも全てが手紙で、まことに身近な内容を書いている。今更何をと言われそうだが、書聖・王羲之といえども、家族、親戚、友人想いの普通のオジサンだったことに気が付いたからである。

川村龍洲(書源2019年10月号より)

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かすれとにじみ

きれいがいいか汚いがいいかと問われたら私は躊躇なく汚い方を選ぶ。自室、身のまわり、書作品。私にはきれいにする能力が乏しいらしい。汚いといっても不潔、下品はご免。

大学の寮では先輩が残していった古い反故紙をそのままにして二年間(三年目からは目黒寮)掃除もせずに上へ上へと重ねていった。後輩はどうしたのか。反故が一段と高くなって、二十センチはど高くなっている畳の間の方へ流れてきて-。ある日袋戸棚は何がはいっているんだと思い切り開けたところ百冊を超えるエロ本が音を立てて落ちてきた。元兵舎だったと思われる寮は、すでにボロボロで、私達が寮を出たあとは後輩が住むでなく、取り壊されたのではないか。先輩達がいる二階などたまに訪れると廊下を歩くたびに壁がゆらゆらと揺れていた。よかったのはその廊下が広かったこと。部屋の中は反故の山なので、有難いことに大作の全てはそこで書けた。

その寮は練馬の大泉にあった。そこから池袋へ出て山手線で新宿、中央線に乗り換えて武蔵小金井まで-。あまり真面目な学生ではなかったが、何分かかったか。帰りは池袋の安いめし屋を梯子することが多かった。あのころは恥ずかしいくらい大量に食べていた。
すみません、こんなことを書く予定ではなかった。字肌がツルンとした字は嫌いである、が今回の主題のつもりで書き始めていた。

さて、といってもかすれもあまり好きでない。反対に小坂先生はお好きであった。私の作品にかすれのないことを揶揄して小坂先生のかすれの部分を勉強しなさいと私に忠告した人がいた。かすれも必要だろう、門下にもそれをしょっちゅう言っている。しかし作品にかすれの出てくるのは北宋ぐらいから。初唐に四十代で書いた孫過庭の「書譜」にもそれはない。多分上質の本画仙が出来るようになったことと関連があるとは思うが(現在のような紙の製法が中国で出来たのは紀元六十年(百五年という説もある)ぐらいといわれている)当時渇筆での傑作を残しているのは米芾ぐらいのものである。われわれが真の古典と稱している宋以前にはかすれもにじみもないと思ってよい。
それが書作品に出始めるのは明代以降、現代の日本の書もこの流れの中にある。(付)

数年前の朝日新聞に百三歳の篠田桃紅さんの記事があって、その中にニューヨークで作品を書くと室内が乾燥しているため、日本では出る筈のにじみやぼかしが思い通りにならない、というのがいやに面白く記憶に残っている。にじみやかすれを全く評価しない欧米文化を心底理解した瞬間であった。

江口大象(書源2019年9号より)

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